世田谷城址公園の周辺情報をお届けします。
世田谷城址公園は、豊臣秀吉によって廃城されるまで存在していた世田谷城の南東端部分に位置しています。
舌状台地という台地が平地に望む末端部分になります。
(wikipedia:舌状台地https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%8C%E7%8A%B6%E5%8F%B0%E5%9C%B0#:~:text=%E8%88%8C%E7%8A%B6%E5%8F%B0%E5%9C%B0%EF%BC%88%E3%81%9C%E3%81%A4,%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E3%82%88%E3%81%86%E3%81%AA%E5%9C%B0%E5%BD%A2%E3%80%82)
世田谷城主の吉良氏は清和源氏の流れで室町幕府を作った足利尊氏の支流になるそうです。
石碑はだいぶ古いみたいですが、吉良氏が築いた事が書かれていました。
こちらには、14世紀後半にはつくられていたことや、城郭の構造について書かれています。15世紀後半には太田道灌と同盟を結び、武蔵野国の中心勢力になっていたとのことでした。
登ってみます。
右手に見えます階段を上ると少し平らになったスペースが出てきます。
かつて川が流れていたとのことで、川がながれていた後が見る事ができます。
山を下るとベンチと簡素な遊具、トイレがありました。
元々城があった土地の中には、豪徳寺住宅という東京都住宅公社JKKの建物が建っていました。
1954年に建てられた112世帯があるそうです。参照:団地R不動産http://www.realdanchiestate.jp/?p=2348
その後は豪徳寺へ。
2021/5/21は緊急事態宣言下の東京のため、境内の中には入る事ができませんでした。
豪徳寺は道元を祖とする曹洞宗なのですね。
豪徳寺から、駅のある豪徳寺駅に向かう途中に有った案内です。
これは面白く、甲州街道ができる以前には西の府中と東の青山に青山に通じる瀧坂道という道が有った場所とのことでした。今では信じられませんが、この辺りは北の北沢川と南の烏山川に囲まれた湿地帯だったとのことでした。
烏山川の有りましたところを少し歩いてみました。こちらは世田谷城址跡から世田谷駅に向かう途中にで100m間隔くらいで間隔くらいで橋の跡が有りました。
烏山川wikipedia: https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%83%8F%E5%B1%B1%E5%B7%9D