現在は小塚原回向院という名称になっていて、入るとすぐ右側に前野良沢、杉田玄白、中川淳庵を日本医史学会、日本医師会、日本医学会が讃える石板が書いてある。

マンガ「風雲児たち」で、前野良沢や杉田玄白が腑分けの場所として登場した小塚原刑場。

その後、幕末では安政の大獄で吉田松陰や橋下左内が伝馬町牢屋敷で斬首された後に、埋葬された墓のある場所である。

安政の大獄で、伝馬町牢屋敷で斬首された、吉田松陰と橋本左内の墓があるが、特に橋本左内は現代に至っても手厚く保護をされている印象を受けた。

吉田松陰の墓は生まれ故郷の山口県萩市にも行ったが、そこの墓跡と同じく二十一回猛士と書かれていた。

橋下左内は僅か25歳で死んでしまったが、幕末が描かれている際には必ず登場してくる人の印象しか無かったが、25歳で死んだのにこれだけの意思を現在に繋げているのは凄いとしか言いようがない。

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