和歌山まで移動して、朝から和歌山城へ。朝9時からやっているらしく朝一で訪れましたがなかなか賑わってました。
所要時間:58分(城の堀を越えて、登って天守閣を見学して下に降りるまで)
鳥の声がたくさん囀っており、ジョウビタキの姿も見ることが出来ましたただ。
城が築かれたのは秀吉が弟の秀長に命じたのがきっかけで、その後徳川家康の子供の頼宣が本丸を山全体に作った歴史とのこと。
いざ城の中へ。
パンフレット一式を事後復習のためにいただきました。
紀州徳川家の中でも特に面白そうなのが、数寄の殿様と呼ばれた10代藩主の治宝は紀州の文化発展に寄与したが、1823年に旱魃による水争いで紀州最大の一揆が起こり隠居してしまったらしい。へうげものの、古田織部を思い出す。
8代徳川吉宗を皮切りに、8代〜14代までの7連続で江戸幕府の将軍に紀州徳川家から続いているのは凄い。知らなかった。江戸幕府の財政面を立て直した将軍だとは知っていたが、その後紀州徳川家から江戸幕府の将軍を輩出する盤石な体制を築くほどの実績だったのだろう。
撮影は禁止だったが、長州戦争の時の兜が、五月人形の兜の様だった。
入場口から階段を2つ上がった天守閣の屋上からは和歌山市を一望できる景色が見ることができた。
紀州藩の領土は今の和歌山県と違って、熊野古道あたりは大和で、前日に訪れた新宮や、現在は三重の伊勢や松阪も紀州藩の領地だったらしい。
お城を出て、外にあるお店で甘酒を飲んですぐ下の和歌山城公園動物園へ。甘酒は珍しく生姜も入っていて年始の寒い中では暖まりました。