Categories: 古墳街歩き

橋北塚古墳〜喜多見、狛江の古墳めぐり②〜

橋北塚古墳は、狛江駅と喜多見駅の間の小田急線の南側にある、一見すると古墳とわからない古墳でした。google上だと橋北塚古墳と出るが、古墳の説明書には三角塚古墳(橋北塚古墳)との記載でした。

古墳内には、アスク岩戸北保育園という建物があり、中は見れないように塀で囲まれていました。

こちらの古墳の周りに、三角という名の表札や、同名の議員の看板もあったので地主の方の名前が古墳名にも付いていると思われる。

墳丘には埴輪や葺石がなく、木棺の周りに丸い石がある、少し質素な古墳のようです。

狛江には、5世紀の半ばから6世紀の半ばにかけて、60~70基ほどの古墳が築造されたと考えられ、橋北塚古墳(三角塚古墳)も6世紀前半に築造された古墳であると考えられています。この古墳には、墳丘(ふんきゅう)に葺石(ふきいし)はなく、埴輪(はにわ)も確認されていませんが、平成2年の調査において、古墳を取り巻く周溝(しゅうこう)の一部が確認されています。墳頂(ふんちょう)付近に円礫(えんれき)が集中して、残されていることが確認され、古墳の主体部は、木棺(もっかん)のまわりを拳大ほどの丸い石を集めて覆った礫槨(れきかく)であったと考えられています。

以下英訳

Misumizukaentei Sankakuzuka Garden Misumizuka Gofun Hashikitazuka Kofun Sankakuzuka Kofun Komae is believed to have been constructed in the first half of the 5th century and 60 to 70 Kofun Hashikitazuka Kofun. The tomb has no thatched stone on the mound and no Haniwa has been identified, but a part of the circumferential ditch surrounding the tomb has been identified in the 1990 survey.It was confirmed that round stones were concentrated near the top of the tomb, and the main part of the tomb was a stone chamber covered with round stones as big as fist.

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