■「通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律」第7条
1回の取引で同種の硬貨が21枚以上あるときは受け取りを拒否することができる

■通貨の特徴
1.交換手段
2.価値尺度
3.価値貯蔵手段

錫と銅で青銅を作る。日本の銭は殆どが青銅。

■無文銀銭 〜660年代

■富本銭 683年
国内初の銅銭。唐の開元通宝がモデル。

目的:藤原京の建設に際しての、政府が支払う手段としての利用。国家支払い手段の機能しか想定せず。
・物資の購入
・建設労働者の労賃の支払い

■和同開珎 708年頃

原資:銀貨と銅貨の両方が発行された和銅開珎銀銭は無文銀銭を回収して溶かして作った。調停は地金以上の価値を与えることで、発行益を得ていた。

素材:和銅開珎銅銭の初期は銅とアンモチン合金だが、以降は青銅(銅+錫)で出来ている。ここから17世紀の鉄銭までは原則として青銅貨。

目的:平城京建設の為の

・物資の購入
・建設労働者の労賃の支払い

経過:高額取引では銀貨、少額取引では銅貨を使うよう朝廷から命令があったが、709年には銀銭の通用が停止されされ銅銭に統一することで発行益を得ようとされた。しかし、社会では銀地金と銀銭が流通していて銅銭は法定通貨の価値で流通していた。その為、銀地金と銀銭の使用を解禁して和同開珎銅銭の価値を切り下げる対応をした。

万年通宝:760年

価値:和同開珎銅銭10枚を万年通宝1枚と等価とされた。

目的:平城京の改造工事費用の支払いと、新羅出兵(計画)の軍事費の調達。

社会の反応:和同開珎を持つ者にとっては不利だったので敬遠され市価が下がった。と本では書かれているが、朝廷の決めた価格で流通させる仕組みが整っていなかったのか、朝廷の信用が無かったのか。その両方か。

神功開宝:765年

目的:称徳天皇の新政権の政治的デモンストレーションの意味と、西大寺の建設費用を得る財政目的。

経過:市価が下がり、発行益が得られなくなった為、桓武天皇の元で782年に製造が停止された。しかし、784年に長岡京の建設が始まると790年に製造が再開された。

以上、奈良時代は政府の建設事業が銭を発行する目的だった。

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